平和のためのスプーン曲げコース

昔二十代の頃から、世の中にきっとあるはずの眼には見えない仕組みをずっと探していた。
それは僕が偶然知ったある方法で、自分が一番成りたかった舞台演出の仕事に思わぬ方法でつけたという経験が源になっている。
僕は物質世界と反する、そのイメージが現実化する仕組みをもっと知りたかった。そういうのを気にかけて探していると不思議な事にまたこれが見つかるものなのである。
それは偶然入った本屋で見つけた。
本のタイトルは「平和のためのスプーン曲げコース」とあった。本のはじめを読んでいると著者はなんでも世界平和運動をしている人で、世界の多くの人が平和を願えば平和は作れるという事が書かれており、それは奇跡でもなんでもなく実現するとあった。
それを証明する為のこれはマニュアルであり、人の想念で硬いスプーンを曲げる方法を書いているとあった。そしてその本の最後には、奇跡には大きい小さいはないとも書かれてあった。
それに気付けば世界平和を齎せるというのがこの本のテーマ。
ほんまかいな、と僕はその薄っぺらい本を見ていたが本屋を出る時にはカバーを付けて貰い購入していた。
その本の内容は1日目、2日目と順にスプーンを曲げる為のトレーニングが書かれていた。
僕は一応その通りにやってみた。
最初の頃は全然出来なかった。
それが数週間続いて、トレーニングするのも疲れて来た頃、日課の瞑想を済ませて横になった。
すると睡魔で意識が朦朧とする頃、フト思考の片隅で「スプーンは曲がる」と思った。
思えば自然と立ち上がり、机の上の常に置いてあったスプーンを左の人差し指と親指で持ち、右手の人差し指だけで軽く手前に引くとスプーンはクニャっと曲がってしまった。
その曲げる感覚は、ジャバラがあるストローを飲みやすい角度に曲げる、というあの程度の力の入れようでいとも簡単に出来た。
僕はその意識の中でストローが「曲がる」という感覚を何度も何度も思い返した。
確かにそれは「曲げよう」ではなく、何の疑問も抱かずに「曲がる」と思った。その「曲がる」と思った時には、出来ないという意識は微塵もなかった。
それがイメージが実現する感覚なのだと体感した。
きっと心の片隅にでも「出来るだろうか」という意識があれば、きっと出来ない。
その過程を考え巡らすうちに、それはまさしく自転車が乗れるようになる感覚と同じだとわかった。
最初自転車に乗った事がない時は、自転車というものは乗れない。何度も何度も練習した経験は多くの人もあることでしょう。フラフラ走っては足をつく。そして少し乗れたと思えば転倒する。
果てしなく同じ事を繰り返したはずだ。
そしてその途方もない程の「出来ない」という時間を掛けた時、ある瞬間に乗れるようになる。それはジワジワ乗れるようになるのではなく、本当に瞬間的に乗れて、それ以後はずっと乗れるようになる。
僕の記憶ではそういう過程だった。
ここに物事を成功させる秘訣がある。
要は、目的があって「出来ない時間」を諦めることなくどれほど経験するかなのだ。
だから出来ない、失敗ばかりする時間、というのはとても重要なんだとそれ以降は思うようになった。
とにかく出来る時というのは突然やってくるものなのだ。
最初は成功を目指して思考する、その思考さえもがやり続けて疲れて、意識が朦朧とした時点で集中の領域を超えたゾーンに突入する。
そのゾーンこそが「出来ない」から「出来る」に変換することが出来る領域なのだ。
この仕組みがわかれば、失敗が連続する間も心折れることなく物事を継続出来る。
そしてこの集中を超えた領域こそ、瞑想状態という領域だということもわかった。
前回に思考では成功出来ないと書いた。
思考を滅茶苦茶疲れさせて、その思考を超えた「意識」の領域に入った時にこそ、自分が求める答えが見つかったり、出来なかった物事が出来るようになるのだ。