この世とあの世の仕組み、不自由さの体験記

人は生まれて来るときに「使命」を持って生まれてきます。
どんな人でも誰でも「使命」を持っています。
誰に与えられたのでしょうか?
いいえ、すべて自分で決めて生まれてきます。
そして人は何回も何回も、この世に生まれてきます。
なぜ、人はこの世に何度も何度も生まれてくるのでしょうか?
それは「苦しいこと」や「辛い」経験からでしか魂は成長できないからです。
あの世には苦しいことや辛いことなどありません。
だから自分の足らない部分を磨きたいのでこの世に生まれることを希望します。
どんな魂も成長したがっているのです。
そして魂はその自分が欠けている部分を磨くために、仲の良い魂のグループで概ねこの世に生まれてきます。
集団蘇生みたいなものですね。
なぜグループを組むのかと言えば、「役割」を持つためです。「苦しいこと」や「辛い」ことは概ね、人との軋轢(あつれき)や誤解、理解不足から起こります。そうです、相手がいないことには問題が起こらないからです。
生まれる前に、そのグループの魂同士でこの世のシナリオを作ります。ある程度の青写真をみんなで作って、この世に生まれてくるということです。
「この時期にあなたと出会いましょう、そして恋をしましょう」
「この時期にはあなたと出会いましょう、そしてケンカしましょう」
「この時期には私はあなたの悪役となり、あなたを傷つけます」
「この時期にはあなたが最悪な困難に遭いますが、私が助けに出ます」
まるでステージの脚本を書くかのように、シノプシス(あらすじ)を集団で描きます。
こういう約束をしているので、この世で色々な人と出会っても初対面から相手に惹かれたり、好きになったりするのです。それは自分たちで作ったシナリオの相手役だとわかるように、感情がメッセージを送っているからです。
これがこの世での「一目ぼれ」や「いきなり気が合う」という理由です。感情は魂の記憶のメッセージなのです。
そして生前のシナリオ通りに恋をしたり、別れたり、助け合ったり、ケンカしたりして、学ぶべきシュチエーションを自ら作り、お互いが学び合うということです。
どの魂も筋書き通りの相手と出会ったりするのかと言えば、出会えない魂同士もいます。描いたシナリオ通りに事が起こらない、という魂もいます。
その為に、何度も生まれて来るチャンスがあるわけです。
出来ない時はまた来世に持ち込みます。追試みたいなものですね。
ではなぜ、魂はそうやって成長を望むのでしょうか?
それは宇宙を創った大いなる意志、「絶対意識」というものが「そうしたい」とある時に突然思い立ち、そういう仕組みを作ったからです。
それがビック・バンです。(本当は巨大な爆発ではなく意識の歪のことです)
「絶対意識」、わかりやすく神と言いましょう。
神はそうやって、生命の輪廻転生のシステムを作りました。
なぜ、神様はこんなことを作り出したのでしょうか?
暇だったから?
わかりやすく言えば、突然こんな風に思ったのです。
「オレって、何でも出来るじゃん。でも出来ない事ってどんな感じなんだろう???」
神はすべてにおいて万能です。その為に欲したことが「不便さの体験」なのです。
そのため、宇宙という物質界を作りそこへあらゆる生命体を生み出したのです。
その宇宙のすべての生命体の一つ一つに、自分の分身の魂を置くことにしました。
それらの生命体が経験する感情、想い、感覚をすべて体験するためです。そして成長を体験するためです。
魂とは元々「絶対意識(神)」にあったものです。それが神の意志で飛び散り、ある一つの生命体となりました。それらの魂が色々な経験をして、魂というものを成長させながら元居た場所である神の元へ還る旅が「輪廻転生」の仕組みと意味です。
その仕組みを作るとき、ある一定の秩序を保つために神の要素を「ケイ素」という元素に込めました。ケイ素はそれらの魂たちが、道筋を間違えないためのルール(秩序)なわけです。
「清く、正しく、美しく」
これがケイ素の持つ特性です。
このルールに従えば、道筋を間違わないように出来ています。
しかしこれだけでは問題が起こらないので、その真逆となる「エゴ(自我)」というものもすべての魂に半分与えました。
これでこの世は、相対性(善と悪)という理論が存在してドラマが起こるようになりました。
ユーミンの歌にありましたね。
「目に映るすべてのものはメッセージ」
まさしくこの詩の通り、この世で生きて居れば本来あらゆる処から自分が描いたシナリオのメッセージが届きます。(シナリオの元はハイヤーセルフの中に封印されています)
大切なのは、そのメッセージを感じ取れるか感じ取れないかです。
僕が行っている「ライフコードセミナー」というのは、そういう日々送られてくるメッセージを受け取れる「感性」を磨くための学びです。